POS的私考 −薬剤師vs看護師−

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zoom RSS 良いとか、悪いとか。

<<   作成日時 : 2006/02/26 12:37   >>

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休日の正午前、なーんにもやる気が起きず、ぼんやりテレビを観ていました。
政治家さんたちの切れ間のない賑やかな議論は、相手を必要とはしていないんだなぁ〜とすら感じさせます。

相手の言葉を最後まで聞かず、自分の話したいことだけを重ねていく。
良いとか、悪いとかを議論しながらも、良いも悪いも議論はしていない。
国民といいながら、主語は自分の所属する政党の保守だけだし、
覆いかぶさる言葉たちはただ唯うるさいだけで、すでに言葉としての意味を成さない。
「結局どうにもならないんだろうなぁ〜」の判断を導きだすためのパフォーマンスだけが、目的なんじゃないのかすら思ってしまう。
人の思考は、簡単に遮断されます。
その話が難しいとなれば、理解することをあきらめます。
その問題が複雑であれば、理解することをあきらめます。
難しくも、複雑でもない話を、迷宮入りさせる良いやり方ですよね。


看護師を辞め、一般社会の一員(へんな言い回しですね)になってから、私は職業病に今も悩まされています。
生死からとっても近い場所での仕事は、「事実」だけがすべてとなります。
良いとか、悪いとかは後回しで、まずは事実だけです。
事実だけを正確に把握し、それから良いとか、悪いとかを、患者さんも含めあらゆる関係者で導きだしていくのです。
けれど、一般社会では、どうやらそれはあまり行われてはいないことのようで、事実の追求は誤解を招きます。
個人の責任追求をしていると。
簡単な言葉で言えば、「いじめ」をしていると評価されるのです。

いじめるつもりなんか全くないんです。
だって、良いとか悪いとか、そんな感情が先にあっての事実追求ではないのですから。
「正しさ」なんか、この世にはありません。
正しさは、社会の流動により、その時々で移ろいゆくものです。
ですが、「今」として、一番正しいと思う答えを導き出さねば、前には進めません。
そのためには、正確な事実がどうしても必要になるのです。

思うのですよ。
なんで事実を追求することに、こんなに心を消耗せねばならないのかと。
良いとか、悪いとかが、ゴールではないのです。
良いことであれば、それを継続させることが目的で、悪いことであれば、それを改めることが目的で、決めること自体が目的ではないということが、何故に分かってはいただけないのか、と
私は愚痴るのです。

まあ、それも事実です。
あきらめず、己が道を突き進むのもひとつ。
そんな場所にいたくないわ!と、三行半叩きつけて、撤退するのもひとつ。

そして、一般社会で過ごして得た選択肢。
消耗した心の後始末しながら時をやり過ごす、こと。
良いとか、悪いとか、からかけ離れた場所で、ただ唯時の移ろいを見守り従うこと。
45歳。そんな生き方も在りか、と思えるのです。

と言いながら、それ自体がストレスなんですーーーっ!!(大暴れ)

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